狂気の中の正義

連日、イスラエルのガザへの軍事侵攻が伝えられている中、自分なりにいろんなメディアに目を通す。

RehaQのイスラエルの大使へのインタビュー

RehaQのパレスチナ大使へのインタビュー

ちきりんさんのVoicy

安全地帯で生きてても生きてなくても、もうここまで事態が大きくなってしまったら一般市民に出来ることは何もない。けれども非道な状況を許せないという思いは人間であれば持っている自然な思いであり、苦痛を受けている人たちへの共感を何らかの形で表したいという思いは自然なことだと思う。

RehaQの両大使へのインタビューとちきりんさんのVoicyを聞いた。パレスチナ代表が話したイスラエルがハマスを支援していたこと、狙いはパレスチナ自治政府の分裂だったことやちきりんさんのハマスもイスラエルも一般市民を人間の盾として使っている指摘は重かった。ただ、なによりも驚いたのはイスラエル大使がガザへの攻撃はパレスチナ人をハマスから解放するためだという発言だった。もし本当にそれを信じているなら、信念という言葉ではもはやくくれず、ある種の狂気を持っていると思わずにはいられない。1人の殺人者を殺すために100人の村人を殺してもいいという理屈がどこから出ているのだろう。ユダヤ教の選民思想から来るものなのか、ホロコーストのトラウマなのか。

パレスチナは国ではなく自治政府である。しかもインフラをイスラエルに握られてしまっている。大きな力の不均衡がある中での軍事力の行使は自衛の範疇をとっくに超えている。

大国の大義名分のために一般市民を虐殺した事件は他の国の歴史にもあった。1948年に済州島で起きた四・三事件は共産主義の壊滅を理屈に米軍及び当時の韓国軍が一般市民を大虐殺した。「共産主義の脅威」から一般市民の支持をとりつけた軍事政権がその後40数年続くことになる。

イスラエルに目を向けてみると、この事件の前に支持率が低下していた現政権は、事件後、支持を回復し挙国一致内閣を組成している。

こじつけた大義を理由に一般市民を虐殺し、権力が保持されるという事例は歴史上散見される。だから気をつけてニュースを見なければいけないと思う。

たぶん、今名だたるメディアの中でBBCだけが報道の中立性を堅持しようとしている。新パレスチナ活動家から「イスラエル側に報道が偏向している」として赤いペンキで本社ビルが塗られた。一方で、ハマスをテロリストと呼ばないことで新イスラエル派から猛烈な批判をあびている。

BBCはなぜハマスをテロリストと呼ばないか

BBCジャーナリストのJohn Sympsonは次のように述べている。

  • テロリストは強い道徳的意味を含んだ言葉である
  • 誰を支持すべきか支持すべきでないか、誰が悪人なのか善人なのかと読者に示すことはBBCの仕事ではない
  • ジャーナリズムとは読者が自身で判断できるよう客観的な事実を与えることだ
  • 民間人、特に子供や赤ん坊の殺害や、音楽祭に参加している無辜の平和を愛する人々への攻撃を擁護する人は誰もいないだろう
  • 一方、50年間、中東での出来事を取材し、レバノンやガザの民間人を標的にしたイスラエルの爆弾や砲撃の余波も目の当たりにしてきた。この恐ろしさは、心に永遠に残るものだ
  • 客観的である義務を放棄してはならない
  • 第2次世界大戦の時もIRAによる爆弾事件の時もこの姿勢を堅持してきた

イギリスの現政権はイスラエル支持を鮮明にしている。その中でBBCが中立的な報道姿勢を堅持するのは容易ではないだろう。双方の感情がいつ爆発してもおかしくない中での客観性の維持。

John Sympsonは記事の最後に

That’s why people in Britain and right round the world, in huge numbers, watch, read and listen to what we say, every single day.

と書いている。狂気に左右されない努力が正義なのだとすれば、その正義を支持する人もたくさんいるということだ。

にほんブログ村 海外生活ブログ シンガポール情報
にほんブログ村