驚くべき強さ~千葉敦子の生き方~

41歳で乳がんを発病したジャーナリストがいた。最初の発病から3年目に入った時、再発が告知される。

それでも女は意思をまげず渡米した。

「同じ仕事をあまり長く続けていては、成長しなくなるという強い恐怖感があり、またせっかく二十世紀後半に生きる幸運に恵まれたのだから、一つの文化の中で一生を終えてしまってはならないと思っているのだ」

「もし命の長さがもはや限られているのなら、なおさらのこと、やりたいことを実現しようと、と私は考えた」

米国は高額医療で知られる国。それでも女はつてを駆使し、乳がん既往歴があっても入れる保険を見つけ、闘病と仕事を両立させる。

「『自分には生きてやるべきことがあるのだ』という意識こそが、闘病において最も基本的な要件だと思う。」

仕事も一から住まいも一から。全てを乳がんを抱えながら軌道に乗せなくてはいけない。しかし

「ゼロに近いところからやり直すことの気持ちよさ。これを何にたとえたらいいのだろう。ぬるま湯から出て冷たい滝にあたるようなすがすがしさ、とでもいいのか」。

女の名前は千葉敦子。自身の闘病を死ぬ瞬間まで発信し続けたジャーナリストだ。渡米から4年後の1987年にその人生をアメリカの病院で閉じる。

乳がんにかかっていながら、最低限入れる保険を探しつつ、最後は借金で治療費を賄おうとする。信じられない無鉄砲さだ。しかし、高額の医療費ゆえに乳がん再々発の予防治療を諦める。

「昨日と違う今日を生きる」(角川ソフィア文庫)では渡米から晩年までの千葉敦子の姿が描かれている。その強さがどこから来るのか、一冊読んだだけでは到底分からない。抗がん剤の治療は苦しいだろうに、あいまに執筆をし、パーティーをして人生を楽しんでいこうとする。

20人ほどの友人に手助けを求め、「今後も書けなくなるまで、仕事を続け、人生を楽しむつもりです。福祉の世話にも家族の世話にもならず、最後まで自分の力で稼げることに満足しています。」と抗がん剤の治療で声が出ないため、ファクスを使って雑誌の質問に回答した。

あの当時の価値観「女は結婚をし、子供を産んでこそ幸せ」。本当にそういう人生を送りたいのか自問し、選ばなかった。そして最後は渡米し、人生の幕を下ろす。自分の人生を悔いなく遂げる。精神の強靭さに圧倒される。

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