先日、伊藤詩織さんの民事訴訟の判決が出た。伊藤さんが、元TBS記者の山口敬之氏から性暴力を受けたとして、1100万円の損害賠償を求めた訴訟である。東京地裁は、酩酊状態で意識がない伊藤さんに合意がないまま性行為に及んだと認定し、山口氏に330万円の支払いを命じた。
この事件はセクハラとして報じられることが多い。けれども私はパワハラでもあったと思っている。私が強く嫌悪したのはこの局長のまるで誠意のない姿勢だった。
- 自分が正しくないと気が済まない
- 自分にたてつく奴は完膚なきまでたたきつぶす
最初にこの事件が出た時、あたかも局長と飲みに行ったしおりさんが悪いという意見が跋扈していた。性交渉が嫌なら飲みにいかなければいいとか。世間では一般にこういう話になるのだろうか。新入社員として入社するかもしれない女性が飲みに応じると性交渉が当然だとみなされる?
もし監査法人でパートナーがこんなことをやったら一発でクビだ。いろいろと問題のある監査法人だが、私が一つ感謝していることがある。それは「女性」としての振る舞いを求められなかったこと。監査法人は男社会である。それでも私は一度もセクハラされたことはない。まあ私が魅力にかけるといえばそうなのだろうけれど、それだけではない。監査法人ではセクハラが倫理に反するというのが徹底されている。一度、パートナーと飲みに行った時、おしゃくをしようとしたことがある。この時パートナーは「Kitori君、そんなことしなくていいよ。この前、倫理研修でね、おしゃくもセクハラの一種だと習ったんだよ。」と自分で手酌していた。もちろんこういった飲みの席でのマナーに窮屈という声もあった。しかし私たちは当時こう解釈した。セクハラがOKな人もいるダメな人もいる。しかしOKかNOかが問題なのではない、外観的にみて倫理上望ましくないと大多数が思う、もしくはセクハラだと受け取られるリスクをはらむ行為はしてはいけない。監査法人においては社会的信用というのはことのほか大事であり、それを損なう行為は慎むべきだ。
正直、こういった社風で働いてきた私からすればこの局長を擁護する声は全く理解できなかった。そもそも新入社員候補と幹部社員が夜遅くまで飲み歩くのが本人の合意がありさえすれば全然問題ないと考えるのが理解できない。問題大ありだろう。本人同士の合意があってもだ。それが客観的にどういう外観を産むのかをなぜこの局長は考えなかったのだろう。そしてTBSはどう考えたのだろうか。こんなことはTBSとして重大なレピュテーションリスクを産むと意見する人はいなかったのだろうか。最初から私にはTBS幹部社員であるという肩書を利用して女性と無理やり性交渉をした事件という風にしか見えなかった。そして何よりももしこれが業界で公然と行われていたのだとしたらなんと恥知らずなのだろう。
まだまだ裁判は続くが、女性をどう扱うべきなのか業界としてもう一度熟考した方がよい。男社会かどうかというのは全然関係なくて、どういうふうに自身の業界が見られたいのか、そして自分が見られたいのかということなのだと思う。