8月は日本にとって終戦の月(1945年8月)にあたり、シンガポールにとっては建国の月(1965年8月)にあたります。8月は両国とも様々な思いが交差する月です。
昨日はシンガポールの建国記念日。街中のいたるところで
赤い国旗が飾られ、赤いシャツを着た人が歩いています。
街中が赤であふれるこの時期はシンガポーリアンの誇りを感じる時期でもあります。
ご存じの通りシンガポールの建国の父はリー・クアンユー。今、その娘Lee Wei Lingの半自伝「Lee Wei Ling~A Hakka Woman’s Singapore」を読んでいます。
その中に日本の植民地下にシンガポールが置かれた時代の記述があります(Papa’s spontaneous Japanese recollection)。
2009年に三菱ケミカルの本社を訪れた際、案内してくれた小林氏(小林喜光氏)に対しリー・クアンユー氏がこういうシーンがあります。
During the Japanese Occupation of Singapore, I walked past a Japanese soldier. He shouted koi. When I approached him, he kicked me and sent me flying.
リーウェイリンは後でなぜこの出来事を話したのかリークアンユーに聞いたのだけれど、もう彼は理由を覚えていなかったと。そして、
Perhaps he wanted to remind his Japanese interlocutor, who had been born after World War Ⅱ that his fellow country men had once upon a time inflicted great suffering on other peoples in Asia Pasific region.
下記の本はシンガポールのナショナルミュージアムで昨年購入したものです。ここにも日本の植民地時代の記述があります。
シンガポール華僑粛清事件についての記述や強制労働についての記述もあります。
リークアンユー自身も粛清に巻き込まれかけたものの間一髪のところで逃れたそうです(自叙伝「リークアンユー世界を語る」より)。
戦後、彼は未来を向くことを選びます。Civilian War Memorialでの除幕式での彼のスピーチは有名です。
“We cannot forget, nor completely forgive, but we can salve the feelings that rankle in so many hearts, first in symbolically putting these souls at rest, and next in having the Japanese express their sincere regret for what took place. It is in this hope that I officiate at today’s ceremony.”
(下手な訳ですが、ご容赦下さい)忘れることはできないし、完全に許すこともできない。しかし、多くの人の心に食い込んでいる感情を慰めることはできる。まずは魂を安らぎの場所に導き、次に過去に対する真の後悔を日本が表現することで。私は今日の式典で責務を果たすにあたりこの希望の中にいる。
この姿勢を「未来志向」というキーワードで望ましい形の戦後処理として紹介するコメントをしばしば目にします。また過去に触れることを、過去を蒸し返すとして批判するコメントも目にします。
彼がいいたかったのはそういうことではない。起こったことをなかったことになんて出来ない。記憶することが鎮魂することなんだ。でもそこに拘泥はしない。
リークアンユーがどれほどの思いをもって、どれほどの痛苦の念をもってこの言葉を発したのか。死んでいく同胞も見た、拷問を受けた同胞も見た、自身も粛清されかけた。それでも彼はWe can salve the feelingsといった。
それがどれほど尊い決断だったのか。
この思いを正しく受け止める日本であってほしいと思います。