私たちはチャンスをシンガポールで探している

監査法人時代の仲間たちシンガポールに集う

先日、監査法人時代の知り合いがたまたまシンガポールに来る機会があり、少人数の3人でランチを一緒にしました。1人は同期、1人は先輩です。
我々、3人の共通点は以下の通り。

ー キャリアのスタートが監査法人
ー キャリアの中盤で監査法人を辞めたこと

当時、私が採用されたころは空前のJ-Soxブーム。決算時に企業のガバナンスが適切かを示す内部統制報告書の開示が法制化されたおかげで監査法人は非常に潤っていました。一番の稼ぎ頭(きっと今でも)は金融監査部門。期末監査の打ち上げのたびにホテル貸し切り、屋形船貸し切りなどの景気の良い話を聞いたものです。私たち3人が出会ったのもその頃。出会った頃は監査法人に勢いがあった時代でした。しかし、その直後に起こったリーマンショックをきっかけとして監査法人は冬の時代に突入。J-SOXバブルはあっという間にしぼみました。

その後、監査法人のキャリアのゴールであるパートナーになることは厳しさを増していきました。なぜあの人が、という具合に優秀な人でも昇格できなくなっていきました。レッドオーシャンの中でもがくよりも、ブルーオーシャンを見つけたい。3人とも監査法人からは離れました。

あの頃は自分のことに精一杯で気づいたら先輩から退職のメールが届いていました。さよならを言う間もありませんでした。だからこそ今回シンガポールで再会というのはうれいしい驚きでしたし、この機会を大切にしたいと思いました。

ランチ場所はみんなが大好き鼎泰豊。短時間ではありましたが昼間からビールをぐびぐびするぐらい盛り上がりました。

2008年のリーマンショックを潜り抜けたその後

さて席の話題はもっぱら近況。同期はグループ会社におりまして東南アジアの某国に駐在中。営業を今やっており新鮮だと言っていました。成熟した日本と違い現在発展中の東南アジア。お客さんをうまくつかんでいきたいと話していました。一方、先輩は日系企業で管理職としてシンガポール駐在中。リーマンの後、先輩は一般事業会社に転職したのですが、大きな会社の経理が性に合わなかったようで今の会社に転職を決めたとのこと。監査法人時代から評判になるぐらいの穏やかな性格が持ち味の先輩。この穏やかさがあだになってしまったのか、不況という悪条件も重なり昇進ができませんでした。控えめな性格は相変わらずで、今の会社ではトップとして部門を率いていることが名刺からは一目瞭然だったけど職位の話は一切切り出してきませんでした。

心中穏やかならずとも穏やかな外見を保つ、周囲を心配させない。そう、そんなことを私はこの先輩から学んだんだった。

自らキャリアを仕掛ける

一方で監査法人に残った同僚が苦戦しているという話も出ました。大手監査法人は簡単にはお客さんを引き受けません。新規の引き受けには非常に慎重です。そうなると今あるパイを超優秀な人たちが取り合うことになります。順調に昇進したけれどパートナ―一歩手前というところで上がれない同僚が「どうすればパートナーになれるか分からない」とぼやいているという話を聞きました。

早期退職の奨励の時、たくさんの仲間が失意のなか去っていきました。その後もたくさんの仲間が去っていました。残った人の中にはそういう人たちを「能力がないから」と揶揄する人もいました。

でも10年後の今、去った人がいまだに失意の中にあるかといえばそうではない。残った人がいまだに高揚しているかといえばそうではない。

誰かが自分を引き上げてくれるのを待つ。嵐が通りすぎるのを待つ。これは一つの立派な戦法です。監査法人に残った人はこの戦法を取ったのだと思います。でも実は自ら仕掛ける、キャリアを切り開くという方がよほど心身ともに健康でキャリア停滞のリスクが低い方法ではないかと思うのです。他人の判断への依存ほど、それが思い通りにならなかった時に失望させるものはないと思います。

食事会の間、今自分がやりたいこと、これから自分がやりたいことを話しました。3人ともに紆余曲折の人生。20代のあの頃思い描いていたレールからは思い切り外れました。でもたくさんのレールが人生にはあることに気づき、人生の折り返しにたっても自分の可能性を信じています。

今、私たちはシンガポールでチャンスを探している。その次のステージがどうなるかは分からないけれど、いつも自分から手を挙げる人生を歩む限りは後悔のない生き方ができるはず、そんな勇気が湧いてきた食事会でした。

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